わかること

「わかること」はよいことです。

 

勉強はできないよりもできるほうがお金を稼げるし、見えないよりも見えるほうが得をするし、知らないよりも知っているほうが楽できます。

 

ですが「わかること」が通用するのは知識や勉学など一部に限った話で、万物に使えるわけではありません。

 

特に、こと人間においては「言葉」と「行動」というわかることの間に「心」という奇々怪々なものが存在して、これがてんでわからないのです。

 

感情はまるでパレットのようで、赤色がたくさん出る日があれば青色に染まる日もあり、そうかと思えばいろんな色が混ざって汚い色を生む日もあります。

 

人間は、この心をムリヤリ「わかること」として扱って「わかった気になること」が好きです。

 

うまくいかないことがあると「生きづらい」と一括りにして、パレットを見せびらかすように独自の正義を唱えるのが、近年世界および私の中で流行っています。

 

「わからないこと」は怖いので、わかった気にでもならないとどうしようもないのかもしれません。

 

そしてわかった気になることで、たった数時間だけでも穏やかに生きられるというのなら、別に悪いことでも間違っていることでもないと思います。

 

ただふとたまに、それら一切合切が猛烈に馬鹿馬鹿しく思え、そしてそんな自分をさらに馬鹿だと思うのです。