外ならどこでも煙草吸っていいなんて最高かよ

日増しに眩しく映るドアノブやクローゼット、せっかく生えた2本の足で健気に立つ気がどんどん失せて、せめてぶら下がりたい気持ちになった9月下旬。

何でそんなことになったのかは、もうよくわからない。

知人の死が重なったり、税金ばかりむしり取ろうとする政府にうんざりしたり、見当違いでクソの役にも立たない戯言を「ありがたいアドバイス」として受け取らないといけなかったり、ネットじゃつまんないことで毎日誰かが炎上したり。

もしかしたら、そういう小さな嫌なことが運悪く積み上がったのかもしれない。

でも今になって思えば、世間的には小さなことでも自分的には大きく見えているのに、それに逆らって小さなこととして扱い続けていたのが、運より何より一番悪かったように思う。

もうとにかく、何でもいいしどこでもいいから、今ここじゃないどこかへ逃げたかった。

でも、お金も手間もかからない身近な逃亡先として思いついたのがたまたま縊死だっただけで、私はできれば死にたくはないのだ。

そんなとき、なぜだかふと過去に旅行したインドのことを思い出した。

インドは日本と比べると不衛生だし、だいたいの食べ物は辛くて油っこいし、あちらこちらでふっかけられたりするので、日本人は合う人・合わない人がわりとはっきり分かれるという。

しかし以前旅行した際は、驚くことこそあれそこまで大きな苦痛を感じなかった。

縊死からの地獄に逃げるくらいなら、インドにでも逃げよーか。

でもニューデリーは前に行ったから、今回はチェンナイあたりにいこーか。

イカれかけた頭で考えられることはせいぜいこの程度で、後の私はほとんど何も考えず爆速でビザと航空券を手配して飛んだ。

そうして10月初旬に日本を離れた私は、今もチェンナイにいる。

最近の私は、昼ごろ起きてそのへんの屋台でアイスを買って朝ごはんにし、だらだらして日が暮れたら散歩をしながら汚い飯屋でチョウメンやサモサを食べ、後はこれまた汚いお茶屋でチャイを飲んでひたすらぼんやりするのが日課だ。

チェンナイは暑いうえに湿度もあり気候はシンプルに不快だが、地方都市らしさをむんむんに漂わせ、ニューデリーよりも遥かにのんびりしている場所だった。

そもそもふっかけてやろうみたいなインド人がニューデリーに比べると少ないし、日本人も少ないため、やたらと「ようこそインドへ!」「写真撮ろうぜ!」と声をかけてくる。

そして場合によってはそのままインド訛りの聞き取りにくい英語で長話を展開し、最後は何も要求せず「じゃ!」と去って行くのだ。

よく行く飯屋の店員にすすめられていくつか観光地にも足を運んだが、人がすごく多いし乞食やオカマ(これも人に金を要求してくる)との遭遇率も高いので、結局そのへんの露店をうろうろしうらぶれた屋台でチャイをすすっている日のほうが多い。

なお、日本には「インドに行くと人生観が変わる」みたいな説があるが、ふらっとやって来た日本人なんて所詮そのへんの野犬と同じようなものなので、カーストの縛りも何もない日本人でいる限り少なくとも私の人生観は変わらない。

でも、ちっとも得意じゃない片言の英語を駆使してインド人のどーでもいい話に適当な相づちを打っていると、とりあえず今は強すぎる日差しが眩しいと思う。