おおうちくん以上に髪がきれいな男を見たことがない

私が育った町は、平成の世のわりに昭和の臭いが漂う貧乏くさい海町で、海に近づけば近づくほど落ちているコンドームとエロ本の数が増える町だった。



小学生の頃、おおうちくんというクラスメイトがいた。

おおうちくんは、貧乏くさい海町のなかでは珍しく、代々続く家業を持ち、よって家も大きく、社交的なうえ運動神経だってバツグンで、挙句髪の毛がサラッサラな男の子。

薄汚いガキどもで構成されたクラスのなかでおおうちくんは異彩を放ちまくり、当然学校中の女子からめちゃくちゃモテた。

…が、そんな「クラス1かっこいい男の子を取り合う」だなんて話は、クラスカースト上位の女子のみに許された話である。

つまり、クラスカースト最下位に位置する私は、おおうちくんと一度も話したことがなかった。

社交的な人に惹かれない根暗な私は、おおうちくんと話せないことに特に不満はなかったが、彼が持つサラッサラな髪の毛だけはいつも「いいなあ」と思っていた。



そんなおおうちくんが、ある日パッタリと学校に来なくなったのは、寒い冬に突入しかけた時期のこと。

そのうち「おおうちくんのおじさんが、人を殺したらしい」という噂が一斉に広まった。(おじさんとは父のことではなく、ガチの叔父のことだ)

家で地方新聞を取っているクラスカースト下位のあすかちゃんは、おおうちくんのおじさんが起こした事件が載っている新聞の切り抜きを学校に持ってきて、その日からクラスカースト上位になった。クラスカーストは、超絶つまらないことでたやすく順位が変動する。

レベルの低い町なので、身内に薬やシンナーで使い物にならなくなった人がいたり、喧嘩っ早くてたびたび警察の世話になる人がいたりすることは珍しくない。しかし自殺者は多くても殺人者は珍しかった。

「なあなあ、次おおうちが学校に来たら『お前のおじさん、殺人鬼ー!』って皆で叫ぼうや!」と誰かが言った。

ちなみに「お前の~」といっていじめられるのは町に住む子供なら一度や二度は経験済みで、私のときのキーワードは「お前の母ちゃん、売春婦ー!」だった。さらにちなむとこれは半分正解で半分不正解である。



潮風吹きすさぶ冬を超え、学年の数字だけ増える春が終わり、もうすぐ梅雨も明けようかという頃になって、ようやくおおうちくんは学校に来た。

本人は何もしていないのに、スクールカースト底辺どころか底辺の先にまでめり込んでしまったおおうちくん。

登校するやいなや「お前のおじさん、殺人鬼ー!」「お前もキレたら人を殺すんやろ?」と心ない言葉を浴びせられ、けちょんけちょんにいじめられていた。



おおうちくんが登校するようになってから数日経ったある日、友だちもいなければ家にも居場所がない私は放課後の時間を持て余し「ウミウシを探してつつく」という地味な遊びでもしようかと海に行った。

すると、先客がいた。砂浜に転がるおおうちくんと、砂浜に転がるおおうちくんに群がるクラスメイトだ。

ウミウシを探してつつく」から「いじめられているおおうちくんを見る」という遊びに変更することにした私は、ほどほどに離れた岩場に腰を下ろし、ボコボコにされるおおうちくんをただ見守った。

いじめっ子たちの気が済んで「おおうちまた明日なー」と笑顔で去っていくまでたっぷり見守ってから、別の遊びを思いついた私は砂浜に転がるおおうちくんに近づいてそっとしゃがんだ。

「なあ、おおうちくん、髪の毛サラサラやなあ」

私は、初めておおうちくんに声をかけた。おおうちくんは何も答えない。

「なあなあ、髪の毛触ってもええ?痛くせんからお願い」

私がさらにしつこく畳みかけるとおおうちくんは砂浜に転がって顔を伏せたまま「………好きにせい」と言ったので、私は言葉の通り好きにすることにしておおうちくんの髪の毛に触った。

おおうちくんの髪の毛は、見た目通りツヤッツヤのサラッサラで一つの絡みもなく、とてもボコボコにされた直後とは思えなかった。私は無言で黙々とおおうちくんの髪の手触りを楽しんだ。

しかし、しばらくするとおおうちくんが小刻みに震え始めた。

「どないしたん?もう触らんほうがええ?」と私は聞いたが返事がない。

するとおおうちくんは質問に答える代わりに私の手を勢いよく払いのけ、猛スピードで起き上がるとずんっと仁王立ちして「俺は!こんなことされてええ人間とちゃうんや!!」と言って泣いた。

“こんなこと”が、仲良しだったクラスメイトからボコボコにいじめられることなのか、「売春婦の娘」のクラスメイトからナメられることなのかはわからなかった。

「そーなん」と私は返したが、バツグンの運動神経を駆使してダッシュで走って行ったおおうちくんの耳にはきっと届いていない。次の日から、おおうちくんはまた学校に来なくなった。隣町の学校に通うことにしたそうだ。