座薬deファック
幼少期の私は超絶めんどくさいガキだった。
今は人並みに頑丈なのだが、当時は「めんどくささの極み」といっても過言じゃないレベルに、貧相かつ貧弱だったのだ。
偏食しまくるせいでペラペラの体は壁にぶつかっただけであばらが折れたし、ちょっと転んだだけで爪ごとはがれて血まみれになった。
さらに扁桃腺が大きく免疫力がゴミだったので月1ペースで40度近くまで発熱し、ときどき「病原菌が調子に乗ってるから」という理由で、よくわからないまま数日入院させられた。
難病や大病をしたなら、事の重大さに誰もめんどくさいなんて思わないのに、小さな怪我や病気をしょっちゅうするので私は私がめんどくさい。
これは母も同じだったようで、母は私の身に何か起こるたびに世話の一切を祖母に押し付けた。
詳しいことは話してくれなかったが、若い頃にお金で苦労したらしい祖母。
「人と金の貸し借りはしたらあかん。どうしても貸したいときは心中覚悟で貸すんやで。借りるのはどんなときでも絶対あかん。私が死んでからでも人に金を借りてみい。毎晩化けて出たるからな」
と10歳にも満たない私に恐怖の教えを説き続けた祖母のおかげで、私はこれまで金銭を理由に他人と揉めたことがない。
ただし、同じ教えを受けたであろう私の母は人に金を借りるので、教育とは教える側はもちろん教えられる側にもポテンシャルを要すものなのだと考える。
とにもかくにも、そんな祖母は大した文句も言わず不機嫌なそぶりも見せず、せっせとめんどくさい私を看病してくれた。
当時の私を構成していたものといえば、美味しいご飯でも友達と遊ぶことでもなく、セーラームーンと座薬である。
もうほとんど思い出せないが、セーラームーンの赤い子ないしは青い子が大好きで、あの頃の私の世界は彼女たちを中心に回っていたような気がする。
そして月1で熱を出す報いとして、物心つく頃には既に私のアナルは祖母が穿つ座薬によって処女を奪われていた。
しかし私は座薬が大嫌いでギャンギャンに泣きわめいたり、尻の穴を閉じて拒否してみたり、挙句の果てには一度入れた座薬をひり出すという芸当まで身に付けたりして、熱を出すたび祖母とアナルを巡る座薬大戦争を巻き越した。
頭ではわかっている、嫌いだ怖いだと思えば思うほどケツの穴は縮こまり不快感や痛みをもたらすことを。
ただ、頭でわかってることを何でも体現できるなら、私は今頃日本を代表するスポーツ選手になってパリオリンピックでも目指しているだろう。
祖母はスポーツ選手の素質がない私のアナルを懐柔するため、いろいろ気を紛らわす施策を講じたけれど、何年やっても効果が出ない現代の金融政策同様に祖母のアナル施策もほとんど無意味だった。
考えてもみてほしい。むき出しの尻を突き出したままテレビを見て、誰がブラウン管の向こうにいる美少女戦士の世界に没頭できようか。
喉がいてえって言ってんのに「歌を歌ってみろ。気持ちよく歌ってる間にぶっ刺す」というトチ狂った取り組みもあったが「ごめんね、すなーおーじゃなくってエエエギャアアアアアアア…ッ!!!」と私が絶唱ならぬ絶叫するので近所迷惑を考慮してすぐに施策は取りやめとなった。
最終的には毎回必ず座薬ファックを決められるのだが、一本の座薬を半分に切った、たかだかほんのちょびっとのミサイルを持つ敵将に、熱を出すたび飽きもせず私は抵抗の姿勢を崩さない。
一体何本の座薬をケツにぶち込まれたのだろう。祖母と平和な戦争を繰り返している間に私は座薬治療の対象年齢から外れたようで、気づくと尻に安泰が訪れ、成長とともに少しずつ体は丈夫になり、ひっそりと祖母は死んだ。
その後、祖母という留め具を亡くした私は盛大に生き急ぎ、12だか13だかでアナルの代わりにまんこのほうの処女を、もう名前は完全に、顔や声も人柄もほとんど覚えていない恐らくクソったら下らなかったであろう男にくれてやることになる。
一体何本のちんぽをまんこにぶち込んだのだろう。中には、まんこを狙うと見せかけてアナルを狙う不届き者もいたが、私はこれまでケツだけは頑なに死守してきた。
祖母のことは大切に思っているが「おばあちゃんとの思い出♡」的な気持ちで熱心にケツの守備を固めているのではない。
本当にただの、完全なるトラウマになってしまっている。
おばあちゃん、お元気ですか。少し前に命日が過ぎましたね。私は今も金の貸し借りをしていません。基本的にローンとか分割も嫌いです。あとは便秘知らずなのでケツも健やか。あなたには暴かれましたが後生大事にすることを誓っています。あなたが植え付けたトラウマは、今日も私と共にゴリゴリ元気です。
ちなみに最近は私もすっかり年を食らい、特に気合いを入れて守らなくてもまんこもアナルもちっとも危険にさらされない。
あいつらは生き急いだから早死にしたのだと解釈すると笑顔になれる。