箱庭戦争

「秋山さんって…ほら、ヅラじゃない?」といわれた昼下がり@社員食堂。

秋山さんがウィッグとやらを被っていることは知らなかったが、ウィッグを取った秋山さんの頭に広大な焼け野が原が広がっていようが、実はスキンヘッドで頭皮に卑猥なタトゥーを彫っていようが、はたまた虹色に光り輝くアフロヘアーだろうが、秋山さんとは単なる同僚でしかない私の人生においては1ミリも関係のないことであり、心の底からマジでクソほどどうでもよかった。

ちなみに、本日の自作弁当におけるメインディッシュはニチレイの冷凍から揚げ。

「メインは後ほどじっくり」なんて考えて食べるのを後回しにした自分を呪う。

井戸の底にさえ届きそうなくらい深いため息が出かかったところを、もはや鳥の死肉揚げになり下がった物でかろうじてふさいで、発言者の春田さんに視線だけよこして見せた。

気合いを込めて搾り出し、やっと出た声は我ながら驚くほど低かったが、そんな様子に気づいていないのか気づいていないふりなのか、春田さんは声高に話し続ける。

「あなたは他人に頓着しないから気づけないのよ。秋山さんをちゃんと見て。あれは誰がどう見てもあれはヅラよ!」

昼休みが終わり、秋山さんの頭をこっそり凝視してみると確かにウィッグだと思ったが、秋山さんがウィッグだと知り至ったところでやはり全然どうでもよかった。


「あなたは他人に頓着しないから気づけないのよ」と、家に帰りついてから春田さんにいわれたことを思い出す。

友人1名と弟だけを気にかけ、あとは「その他大勢」と括ってほとんど興味を持たない自分は、他人への頓着が薄い自覚があった。


「お前、俺に興味ないだろ」はもはや恋人に振られるときの決まり文句だったし、さらには気にかけてると豪語する友人と弟についても、実のところ知ることは少なく、友人の収入源はおろか海外で暮らす弟の住所も知らない。

聞けばきっと教えてもらえるが、特に知りたいとも思わなかったので聞かずにいたら、いつの間にか「親しいを自称する何も知らない奴」になっていた。


頓着とやらをしてみよう!ふと閃く。

画期的かつ天才的な閃きだと思った。頓着が薄いなら強めてみればよい。やってみたら案外ハマって、自分も「あ、今日リップいつものと違くない?かわいー」とかいう人間になるかもしれない。

頓着する相手は、春田さんに決めた。

春田さんはもともと他人に頓着するタイプで細かいことにもよく気づき、あの人はこうだ、その人はどうだとしょっちゅう話しているから、頓着に慣れているだろうと思ったのだ。

次の日からは、自分で操れる意識のほとんどをとにかく春田さんに注ぎ込み、大量のデータとエピソードを収集した。

家族構成や住所、彼女の男の趣味は当たり前。

さらにはメイクでよく使う色味から好きなブランド、お気に入りのキャラクター、楽しみにしているYouTubeチャンネル、初体験時のエピソード、浮気の経験、ひいきにしている部下、仕事中トイレに行く回数、仕事終わりの主な帰宅経路…、そしてもちろん頓着と都合よく名付けた卑罵語を出すときの声音まで、自分に出せる最大限の力を徹底的に出した。

「敵を知り己を知れば百戦危うからず」なんてことは、わざわざ孫子に教わらずとも人類がこれまで辿ってきた愚かな戦いの歴史を流し学べば知っている。


それからしばらくしたある日の昼下がり、また食堂で春田さんと一緒になったので、入社以来初めて自分から声をかけた。


「ねえ。春田さんが住む地区、今日が燃えるゴミの日でしょ?ちゃんと出しました?あ、今日のトップス今まで会社に着てきたことないですよね?今日も仕事終わりに駅近くのライフで焼き鳥とビール買うんですか?今週末もまたダーリンとお花見デートします?」

 

私の声はとても明るく、どこまでも高く弾んでいる。